第2話 2011年9月16日、北京労働者体育館で日本の人気アイドルSMAPグループが初めて公演を行った。そこで最初に歌ったのが「世界に一つだけの花」という歌だった。特別な歌ではないが私の心を掴む歌であった。テレビで北京での公演を鑑賞しなが...
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李 鋼哲所長の回顧録(連載)⑥:第1部 60歳を青春とし、新しい30年への挑戦ー奇跡は奇跡的に起こらないー
第1話 奇跡的な人生の歩み―来日30年記念日所感― 2021年5月11日書き下ろし 今から30年前の5月11日、一人の青年が東京成田空港に着いた。中国北京での大学教員生活に終止符を打ち、日本留学のために渡日したのである。31歳の青年は...
李 鋼哲所長の回顧録(連載)⑤:我が家族の略史―満州への移民100年史―李 鋼哲所長の回顧録
中国の近現代史100年の激動の時代を、私とわが家族(農民家族)の物語を綴ることができるのではないか? 日本が韓国を併合した1910年代から 30年代の満州国時代、そして1949年に中華人民共和国が成立してからの歴史について、我が家族の生き様...
李 鋼哲所長の回顧録(連載)④:青春時代までの総括
自分の人生を総括するときに、私は何時もこう考えている。 自分は生まれるときから不運児である。未熟児として生まれた子牛と同じで、生まれてから飢餓の中で育ち、成人するまで不遇のために、人生に自信がなく、大きな夢も見ることができなく生きてきた。 ...
李 鋼哲所長の回顧録(連載):③私はなぜ回顧録を書くのか?
私は大躍進運動が始まる1958年12月(旧暦、新暦では1959年1月)に、中国全体が食糧難で飢饉に見舞われる中で生まれた、生まれてからは母親が病気で、母乳もなく、お粥もまともに食べられず、栄養不良の中で育っていた。当時は中国で流行していた伝...
李 鋼哲所長の回顧録(連載):②私はなぜ回顧録を書くのか?
プロローグ 人生60歳になって世の中を少しわかるようになった。 聖人の孔子曰く (五十而知天命、六十而耳顺)。 私は「天命を知る」年に本当に天命を知ると感じており、「耳に準じる」年(「人の話をよく聞く」という意味)を超えるようになったのであ...
李 鋼哲所長の回顧録(連載):①「アジア人を紹介します」
著者:2008年8月、故郷延吉にて 「アジア人」を紹介します。 『朝日新聞』永持裕紀 (「動く中国とつきあう」研究チーム) 2003年2月25日、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)と韓国の東亜日報21世紀平和研究所、中国の現代国際関係研...
李鋼哲の回顧録(連載、韓国語)第1話
https://www.ekw.co.kr/news/articleView.html?idxno=11160 第1話1スクリーンショット-2023-03-27-122800-1ダウンロード
李 鋼哲所長回顧録(連載):②東北アジア人の物語シリーズ:目次&プロローグ
目 次 プロローグ 目 次 プロローグ 世界に一つだけの花] 不良の子牛も誠意をもって育てれば立派な牛になる 「東北アジア人」—私のアイデンティティ 「父親と線引きしろ] -文化大革命の嵐の中で 「広大な農村ではやり甲斐ある-4年間の農...