第5話 日本留学10年間の苦学と人生修行 日本との縁 田舎での日本人との出会い 日本については幼い頃から憧れていた。 当時の私たちにとって日本と言えば、抗日戦争に関する映画を多く見ることができたので、日本軍の残忍無道な悪行についての認識が全...
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李 鋼哲所長の自叙伝連載⑨:国際連合の舞台で
第4話 国際連合の舞台で ―「あほのように勉強し、天才のように夢を見なさい」― 1.国連潘基文(バンキムン)事務総長の魅力 読者の皆様は「国連」と言ったら最初の印象は何でしょうか?各々違う考え方を持つだろう。 韓国人として考えたら、一番深...
李 鋼哲所長の自叙伝連載⑧:民族と国を超えた「東北アジア人」
第3話 民族と国を超えて「東北アジア人」として生きる ―私は何人?アイデンティティの葛藤― 「天生我才必有用」という中国の諺、その意味は、世に生まれた人は誰でも必ず役に立つ。 それでは、私は誰なのか?この世に生まれた私のアイデンティティは何...
李 鋼哲所長の自叙伝連載⑦:「世界に一つだけの花」
第2話 2011年9月16日、北京労働者体育館で日本の人気アイドルSMAPグループが初めて公演を行った。そこで最初に歌ったのが「世界に一つだけの花」という歌だった。特別な歌ではないが私の心を掴む歌であった。テレビで北京での公演を鑑賞しなが...
李 鋼哲所長の自叙伝連載⑥:60歳を青春とし、新しい30年への挑戦
第1部 第1話 奇跡的な人生の歩み―来日30年記念日所感― 2021年5月11日書き下ろし 今から30年前の5月11日、一人の青年が東京成田空港に着いた。中国北京での大学教員生活に終止符を打ち、日本留学のために渡日したのである。31歳...
李 鋼哲所長の自叙伝連載⑤:満州への移民100年の家族史
中国の近現代史100年の激動の時代を、私とわが家族(農民家族)の物語を綴ることができるのではないか? 日本が韓国を併合した1910年代から 30年代の満州国時代、そして1949年に中華人民共和国が成立してからの歴史について、我が家族の生き様...
李 鋼哲所長の自叙伝連載④:殻を破り貧困から脱却
自分の人生を総括するときに、私は何時もこう考えている。 自分は生まれるときから不運児である。未熟児として生まれた子牛と同じで、生まれてから飢餓の中で育ち、成人するまで不遇のために、人生に自信がなく、大きな夢も見ることができなく生きてきた。 ...
李 鋼哲所長の自叙伝連載➂:人生の道は曲折で波乱万丈
「十人十色」という諺があるように、人生も一人一人自分の道があり自分の経験がある。 しかし、人間は一人で生きるものではなく、いろんな形で繋がっており、お互いに影響しあい、お互いに学びあうのである。自分の人生のストーリを語ると誰かがそれを勉強し...
李 鋼哲所長の自叙伝連載②:私はなぜ自叙伝を書くのか?
プロローグ ⅱ.なぜ私は自序伝を書くのか 人生60歳になって世の中を少しわかるようになった。 聖人の孔子曰く (五十而知天命、六十而耳顺)。 私は「天命を知る」年に本当に天命を知ると感じており、「耳に準じる」年(「人の話をよく聞く」という意...
李 鋼哲所長の自叙伝連載①:「アジア人を紹介します」
著者:2008年8月、故郷延吉にて 「アジア人」を紹介します。 『朝日新聞』永持裕紀 (「動く中国とつきあう」研究チーム) 2003年2月25日、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)と韓国の東亜日報21世紀平和研究所、中国の現代国際関係研...