第4話 国際連合の舞台で ―「あほのように勉強し、天才のように夢を見なさい」― 1.国連潘基文(バンキムン)事務総長の魅力 読者の皆様は「国連」と言ったら最初の印象は何でしょうか?各々違う考え方を持つだろう。 韓国人として考えたら、一番深...
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日常的に情報発信
李 鋼哲所長の回顧録(連載)⑧:第3話 民族と国を超えた「東北アジア人」
第3話 民族と国を超えて「東北アジア人」として生きる ―私は何人?アイデンティティの葛藤― 「天生我才必有用」という中国の諺、その意味は、世に生まれた人は誰でも必ず役に立つ。 それでは、私は誰なのか?この世に生まれた私のアイデンティティは何...
李 鋼哲所長の回顧録(連載)⑦:第2話「世界に一つだけの花」
第2話 2011年9月16日、北京労働者体育館で日本の人気アイドルSMAPグループが初めて公演を行った。そこで最初に歌ったのが「世界に一つだけの花」という歌だった。特別な歌ではないが私の心を掴む歌であった。テレビで北京での公演を鑑賞しなが...
李 鋼哲所長の回顧録(連載)⑥:第1部 60歳を青春とし、新しい30年への挑戦ー奇跡は奇跡的に起こらないー
第1話 奇跡的な人生の歩み―来日30年記念日所感― 2021年5月11日書き下ろし 今から30年前の5月11日、一人の青年が東京成田空港に着いた。中国北京での大学教員生活に終止符を打ち、日本留学のために渡日したのである。31歳の青年は...
李 鋼哲所長の回顧録(連載)⑤:我が家族の略史―満州への移民100年史―李 鋼哲所長の回顧録
中国の近現代史100年の激動の時代を、私とわが家族(農民家族)の物語を綴ることができるのではないか? 日本が韓国を併合した1910年代から 30年代の満州国時代、そして1949年に中華人民共和国が成立してからの歴史について、我が家族の生き様...
李 鋼哲所長の回顧録(連載)④:青春時代までの総括
自分の人生を総括するときに、私は何時もこう考えている。 自分は生まれるときから不運児である。未熟児として生まれた子牛と同じで、生まれてから飢餓の中で育ち、成人するまで不遇のために、人生に自信がなく、大きな夢も見ることができなく生きてきた。 ...
李 鋼哲所長の回顧録(連載):③私はなぜ回顧録を書くのか?
私は大躍進運動が始まる1958年12月(旧暦、新暦では1959年1月)に、中国全体が食糧難で飢饉に見舞われる中で生まれた、生まれてからは母親が病気で、母乳もなく、お粥もまともに食べられず、栄養不良の中で育っていた。当時は中国で流行していた伝...
李 鋼哲所長の回顧録(連載):②私はなぜ回顧録を書くのか?
プロローグ 人生60歳になって世の中を少しわかるようになった。 聖人の孔子曰く (五十而知天命、六十而耳顺)。 私は「天命を知る」年に本当に天命を知ると感じており、「耳に準じる」年(「人の話をよく聞く」という意味)を超えるようになったのであ...
李 鋼哲所長の回顧録(連載):①「アジア人を紹介します」
著者:2008年8月、故郷延吉にて 「アジア人」を紹介します。 『朝日新聞』永持裕紀 (「動く中国とつきあう」研究チーム) 2003年2月25日、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)と韓国の東亜日報21世紀平和研究所、中国の現代国際関係研...
李鋼哲の回顧録(連載、韓国語)第1話
https://www.ekw.co.kr/news/articleView.html?idxno=11160 第1話1スクリーンショット-2023-03-27-122800-1ダウンロード