李 鋼哲エッセイ:『脱貧困』と『ユートピア』

◆李鋼哲「『脱貧困』と『ユートピア』の実践-山東省南山集団訪問記-」

2019年3月12日、中国山東省煙台市にある魯東大学における招待講演の翌日に、南山集団という中国有数の企業を訪問した。この企業に対して私は予備知識がなかったが、講演に同行した東京大学社会科学研究所のM教授から、「20数年前に訪れたことがあったが、改めて見学したい」との要望があったので、私も一緒に参加した。

南山集団は煙台市中心から60キロほど離れおり、車で1時間半弱で着いた。煙台市傘下の海浜都市龍口市に拠点を構え、アルミ金属素材を主軸とし、紡績繊維、ワイン等の製造をしているが、その他にも教育や不動産、金融、旅行、健康など多岐にわたる産業を抱える複合企業グループに成長した。従来、貧しい村落であった広大な敷地を開発し、無数の生産工場や観光施設、従業員用の住宅施設などが建てられている。大半の村民をこの南山集団内で雇用しており、「村企合一」(村と企業が一体化)の民間企業として飛躍的に成長し、中国巨大企業ランキング500社のなかで170番目、中国製造業ランキング500社の中の71番目(いずれも2018年)とされ、傘下には100社ほどの子会社をもつ。南山集団が作ったアルミ製品は米国のボーイング社にも納品しているという。

ここではある企業を紹介するのが目的ではない。この企業を訪問してびっくりしたことを紹介したい。それはこの企業はユートピア(理想郷)的な生活環境を村民たちに提供していることである。企業理念は「故郷に造福し、社会に還元する」(「造福郷梓,回報社会」)こと。中国の改革開放政策の唱道者であった鄧小平氏が、かつて唱えた「先富論」(一部の人が先に豊かになり、豊かになった人が皆さんを引っ張って一緒に豊かになる)の実践者と言えるのではないか、と思った。

世界でも中国でも成功した大企業はいくらでもある。しかし、企業で作り上げた富を使って、周りの貧しい人々に豊かさをもたらす「共同富裕」を自ずと実践し、ユートピア的な楽園のような村を造った起業家はそんなに多くはない。もちろん、中国でも他にも類似な事例があり、世界でもビル・ゲーツのように一代で富を築き上げ、その富で慈善基金団体を発足し、世界中の貧困撲滅のために頑張る方も大勢いる。

南山集団のユニークなのは、改革開放政策を実施して40年間、世界が注目する経済大国になった中国で、成長の歪として貧富格差の拡大が指摘される中で、村民全体を豊かにする実践者、宋作文・南山集団総裁の成功物語である。宋氏は、改革開放政策を実施する1978年に山村の生産隊長(村長)(私もその頃には生産隊の一農民であった)の身分で、村民数人と手を組んで村で起業し、ある程度成功した後は58世帯の村民全員を企業の一員とし、さらに規模を拡大して、周辺42村を吸収合併し、従業員が4万人、村民は14万人規模の巨大企業、そして企業を中心に一つの都市圏を作り挙げた。それだけではない。創業当時の村民全員には別荘のような高級住宅(面積178平米の一戸建て)を提供し、後に合併した村民たちには全員に138平米の住宅を支給したという。企業の敷地とその周辺の綺麗な環境、そして60万人規模の龍口市全体が、ガーデン・シティとして整備されている。

ガイドは我々を老人ホームに案内したが、そこはリゾート・ホテルを彷彿させる立派なもので、老人たちは安心してゆったりした生活を送っている様子が見えてきた。この村では60歳以上で希望さえすれば誰でも安い寮費または無料で入所できるという。したがって、この村14万人の中では1990年代末にすでに脱貧困が実現されたという。

南山集団には幼稚園から小、中学校、そして大学まで完璧な教育施設がそろっており、幼稚園からハイレベルの教育を行い、英語教師は米国から招いたという。煙台南山学院大学は私立大学であるが、在学生2万人以上、工学院、商学院、人文学院、航空学院など4つの学院があり、22学部と78学科を設けている。全国から学生を募集し、卒業生は希望さえすれば優先的に南山集団の社員になれるという。社員の約8割はこの大学の卒業生で大半は村の外部から来ているという。

旅行産業として、南山旅游景区は国家5A級(中国では最高級)観光地に評価され、敷地の丘の上には荘厳な大仏を建設し、仏教、道教、儒教の文化を取り入れた周遊観光施設を整備している。また、279ホールという巨大な規模のゴルフ場もある。その他リゾート・ホテル、住宅地、商業施設などが整備され、そこには外部の人でも住みたい場合には誰でも住宅を購入するか、賃貸して住むことができるという。筆者も老後生活地候補の一つにしたいと考えるようになった。

山村から企業を起こし、企業の成長だけではなく、村民たちが共同で富裕を実現し、40年の歳月で、貧困村からユートピア的理想郷を作り挙げた南山集団を見学しながら、筆者は感動せずにはいられなかった。

貧困撲滅のために、中国政府は今も必死に取り組んでおり、奇跡的な成果を上げていることは、かつて中国の貧困農村で生まれ育ち、必死の努力で農村の貧困から脱出した筆者にとっては、大いに称賛に値することである。現在の体制について、そして貧富格差などについては批判的な目を向けている筆者であっても、成果は成果として評価せざるを得ない。世界銀行のジム・ヨン・キム総裁も、中国が1990年以降に8億人を貧困から脱却させた功績は「人類史における素晴らしいストーリーの1つだ」と語った。

世界銀行は、世界における貧困率は1990年の36%(18億9,600万人)から2015年の10%(7億3,550万人)に減少し、2030年までに極度の貧困を世界全体で3%まで減らす、また、全ての途上国で所得下位40%の人々の所得拡大を促進する、という2つの目標を掲げている。世界の貧困撲滅に対する中国の貢献度は最も大きい。

中国政府は2020年に貧困人口をゼロにするという目標を掲げて一所懸命に取り組んでいる。政府の貧困ラインは年間所得2300元(約4万円、世界銀行の貧困ライン基準1日1.9ドルに比べると約半分程度と低いが、購買力平価計算では約3分の2程度))だが、2016年末時点でなお4335万人がそれを下回っている。毎年約1000万人を貧困から脱却させるのが政府目標であり、そのペースで行けば少なくとも公式に2020年までに深刻な貧困は解消されるはずであるという。財政部によると、2019年は貧困緩和策に昨年比30%増の860億元(約1兆3千億円)を充て、資金はインフラ整備のほか、教育や医療、地方農村部への補助金に充てられる。財政的な支援のみならず、人的支援・知的支援も上から下まで各級政府の優先課題の一つとし、貧困脱出難関攻略戦を実施して以来、各級政府や共産党組織の第1書記が、貧困村に駐在しながら農民と一緒に脱貧困作戦に取り組んでいるという。

今度の煙台市出張に先立って、筆者は海南島(中国の最南端にある中国のハワイと言われるリゾート)三亜学院大学でも講演を行った。少数民族が多い海南島の中でも貧困県がいくつかあり、保亭県(貧困県)党幹部をしている大学時代クラス・メイトは、事前に再会の約束をしたのが、県内の脱貧困鑑定の仕事が突如入って夜遅くまで取り掛かるので、それを優先せざるを得ないということで、予定を週末に変更してお会いした。脱貧困最前線での戦いの厳しさ、そして中国政府の本気度を実感した。

最後に個人的な体験話になるが、筆者は2回の脱貧困を体験した。1回目は、生まれ育った貧困山村での貧困農民で農業をしながら、必死の思いで独学し大学受験を4年間も続けた末、1981年に首都北京で大学生になり脱貧困を達成した。といっても、大学生の時は必ずしも食事が十分できたわけではなく、半貧困、栄養不良であったが。2回目は、北京で大学教員を辞職し、一文無しで渡航費などを借金して1991年に日本留学を決行した後、東京でアルバイトをして生計を立て、子育てをしながら10年間勉強した末に、何とか職を得たことで脱貧困した。

今度の中国訪問で強く感じたのは、自分は個人的には脱貧困できたのだが、故郷中国の脱貧困、さらには世界の脱貧困に何の貢献もできず、関心が欠如していたことに対して自分の心で葛藤が起きたことで、これまでの人生を見直すきっかけにもなった。「良き地球市民」と言いながら、現実の世界貧困から目をそらしてきたことで空しさを感じ、今後はそのような貧困問題を含めた社会問題にもっと目を向けて活動しなければならないと、自分なりに決意した。先進国の日本でさえ近年貧困問題が取りざたされ、特に子供の貧困率が上昇していると報道されているが、我々は決してこのような問題から目をそらすべきではない、と改めて考えるようになった。

(このエッセイは、渥美国際交流財団のSGRAかわら版で、2019年4月18日配信されたもの)

南山集団の写真を下記リンクからご覧いただけます。

http://www.aisf.or.jp/sgra/・・・