台湾、コロナ禍の中の優等生(2) – 李鋼哲


李鋼哲 ・ 一 般 社 団 法 人 東北亜 未 来 構 想 研 究 所 所 長


その台湾の一体どのような「国」なのか?その歴史から見てみよう。
台湾は台湾本島とその周辺諸島により構成され、面積は約 3.6 万千㎢、日本九州地方の面
積(約 4.4 万㎢)より小さい島で、人口約 2 千 360 万人(19 年)。亜熱帯や熱帯地域である
ため、年中気温は高く、熱帯植物や果物など物産が豊富な「宝島」である。
そもそも台湾という「国」は歴史的にも現在も存在しない。現在の正式名称は「中華民
国」(Republic of China=ROC)であり、1912 年に中国で発生した辛亥革命により建国、
アジア最初の共和国である。1949 年に国共内戦で共産党軍に敗れた政府軍の国民党は、台
湾に逃げて現政権を続けており、その為、実際に中国は「二つの国」が併存することにな
りなる。
歴史的に、中国の『三国志·呉志』、『隋書·流求伝』などに台湾を記録したことがあり、
元代(モンゴル帝国時代)に台湾・澎湖諸島に巡検司が設置され福建省泉州府に隷属され
たという。その後 16 世紀にポルトガル航海士が台湾島を発見し、「フォルモサ」 (ポルトガ
ル語: Formosa, 福爾摩沙「美しい島」) と読んでいたという。17 世紀における大航海時代
にはオランダ(1624-62)の植民地となっていたが、中国では東北(旧満州)の満州族が大
清国を建国、後ほど明朝を破って政権を取ると、それに抵抗して戦っていた明朝の鄭成功
将軍とその軍隊が清朝軍に追われ 1661 年に台湾に渡り、オランダ軍と戦い追放し、同島初
の政治的実体の「東寧王国」を設立、統治していた。しかし、清は 1683 年に鄭王国を破り
台湾島を併合し、約 210 年間統治していたが、1895 年に日清戦争に勝った日本が清朝との
間に「下関条約」を締結、台湾を日本領に編入の上、台湾総督府を設置し 50 年間統治。清
朝統治期間には大陸福建省中心に漢人が大量に流入し、原住民は徐々に漢人と同化し、現
在の「台湾人」になったので、中台は同文同種同民族と言ってもいいだろう。
第二次世界大戦が終わる頃、中華民国(総統は蒋介石)は 1945 年 8 月に日本の敗戦で同
盟国の合意のもと台湾を接収し、台湾省として自国領に編入した(「台湾光復」)。中華民国
は戦勝国であったため国連創設時に常任理事国になっていたが、49 年に台湾に移転しても
その地位は維持していたが、1971 年に大陸中華人民共和国が中華民国に取って代わり国連
入りし常任理事国になると、台湾は国連を脱退し、国際社会では台湾を中国の一部として
認め国交を断絶し、中国との国交正常化が進めてられてきた。因みに日本は 1972 年 9 月に
中国と国交を樹立、中華民国との国交を断絶したたが、「財団法人日本台湾交流協会」を設
立し、台湾との交流を維持。2020 年 10 月現在、中華民国と国交を維持している国はわず
か 15 カ国、いずれも小国。
1975 年に蒋介石総統が死去すると息子蒋経国が政権を引き継ぎ、87 年に戒厳令を解禁
(大陸と準戦争状態の終結)したが、88 年に蒋経国が死去すると、李登輝副大統領(本省
人)が後継ぎで大統領になる。1990 年代に民主化運動のうねりのなか、李総統は民主化を2
進め、96 年に初めての民主選挙を行い、民選大統領となった。2000 年には「民主進歩党(本
省人中心)」が初めて国民党を破り政権交代が行われ、その後 2008 年に国民党が再び選挙
に勝ち与党になっていたが、16 年選挙では民進党の蔡英文氏が初の女性大統領となり、昨
年 1 月には第 2 期大統領に再選され現在に至っている。
台湾では民主化とともに、民衆のアイデンティティは「中国人」から徐々に「台湾人」
に移り変わりつつある。1992 年の国立政治大学の世論調査では、自分は「台湾人」と答え
た人は住民の 17.6%、「中国人」との答えは 25.5%、「台湾人かつ中国人」との答えは 46.4%
だったが、2020 年の同調査では、その答えはそれぞれ 67%、2.4%、27.5%に大きく変わっ
た。大陸出身中心の国民党はその数や影響力が徐々に低下し、本省人の意識や勢力が急上
昇。
民進党は独立志向が強く、「独立」と「統一」問題を巡って、大陸と確執が続いている。
国民党政権の時は「一つの中国」政策を重視するが、民進党政権の時はそれを認めない政
策、または曖昧な政策を取っている。それに対して中国政府は、2005 年に「反国家分裂法」
を成立させ、台湾が「独立」を宣言したら武力行使を辞さないと、政治的・軍事的脅威を
与えており、「独立」を強く牽制している。このような状況の中で、台湾では「現状維持」
政策を貫いている。
一方、1990 年代に台湾は大陸と交流再開以来、両岸関係は急速に接近している。2008
年 12 月には中台間の定期直航便が就航し、中国大陸住民の台湾観光や三通が解禁。2010
年の中台トップ会談では、「両岸経済協力枠組協議」 (ECFA) が締結、実質的には FTA が
結ばれている。いまや台湾の輸出額の約 4 割が中国大陸向けで、進出台湾企業は約 10 万社
(2020 年 1-11月までの台湾対外投資の47.6%は大陸)、大陸在住の台湾人は約 100 万人、
年間往来者数は約 500 万人(19 年)を超え、台湾の国際結婚の配偶者も 40 万人のうち 26
万人が大陸妹だという。台湾にとっては如何に大陸への過度な経済依存度を低下させるの
かが大きな課題であり、蔡政権は「新南方政策」を打ち出し、東南アジアやインドなどと
の経済連携強化を図っているが、まだ効果は薄い。
近年には米中関係の悪化に伴い、両岸関係は常に緊張状態が続いている。米国は大陸中
国が台湾を「飲み込む」ことを許さず、「台湾関係法」をもとに、毎年台湾に大量の武器を
提供(販売)しているが、最近では防衛的な武器から攻撃的な武器までも大量に売ってい
るという(2020 年度の武器販売は 345 億ドル)。トランプ政権以来の米国は台湾との関係
を急速に強化してきたが、バイデン民主党政権になってもその政策基調は変わらない。
中国人の大量な流入と国民党が中国の文化(大量の文物等)を台湾に持ち込み、中国の
正当政府としての統治基盤を造ったため、台湾には中国の伝統文化が根深く浸透し、中国
式建築や中華料理、服装などが普及し、「本場の中国伝統文化を体験したかったら台湾に行
った方がいい」とまで言われている。
台湾人は日本に親近感を持つ人が多く、台湾では「哈日族」と言われる。その理由をあ
る台湾出身学者の話を借りると、「台湾人からすれば、長い間外部勢力に侵略や支配されて3
きた経験から、大陸から来た支配者よりは、日本統治時代が増しだった」という認識がそ
の根底にあるようだ。近年、台湾から日本への旅行客は大幅増加し、2019 年度の訪日客は
489 万人、中国と韓国に次いで 3 番目であり、台湾の 5 人に一人が毎年日本旅行を楽しん
でいることになる。私が住んでいる石川県にも親台湾的な雰囲気が強く、小松空港から台
北までは毎日直行便が運行しているが、それも不足して毎日 2 便に増やすという話が出て
いるほど。