李 鋼哲所長の回顧録(連載):②私はなぜ回顧録を書くのか?

プロローグ

人生60歳になって世の中を少しわかるようになった。

聖人の孔子曰く [五十に天命を知る、六十に耳に準じる](五十而知天命、六十而耳顺)。

私は「天命を知る」年に本当に天命を知ると感じており、「耳に準じる」年(「人の話をよく聞く」という意味)を超えるようになったのである。

ところが、私にとっては人生の半分に過ぎず、今後歩むべき道はまだ長いはず。なのに、人生の途中でこのような回顧録を書くのはどうかな? と思われるだろう。

私がこの伝記を書くことになったのは3つの理由がある。

一つ目の理由は、我が家族の兄弟姉妹が一堂に集まったとき、家族史を残す価値があるのではないか、という議論があったこと。議論はしてもそれを実行するには大学で教鞭をとっている人がリーダーシップを取らざるを得ない。一つ上の兄も大学教授だが、仕事が忙しくて余裕がないらしい。

そして、私がイニシアティブをとって、8人兄弟姉妹たちに、皆さんはもう定年しているので時間的余裕があるから各自の回顧録を書いてみたらどうか?と頼んだら、1年くらいの時間でみんな原稿を書いてくれた。肝心の大学教授の兄がなかなか原稿執筆をしなくて、何年か掛けてやっと原稿を送ってきた。

二つ目の理由は、私自身も人生の中間報告を残したかった。今までは人生の上り坂であったが、これからは年齢もあることだから折り返しの下り坂に向かわざるを得ない。「上り坂よりは、下り坂がもっと難しい」(上坡容易下坡难)という中国の古典がある。もし下り坂で転がったりしたら大変なことになるかも知れない。上り坂で積み上げた経験と知恵は人生荷役立つが、体力が自然に低下することはどうしょうもないのではないか。実は品減は40代から体力が下り坂になるのが自然常識であろう。経験と知恵をうまく活用すれば、下り坂もゆっくり下れるし、たまには上り坂にあうかも知れない。スマートな老後人生を如何に歩むのか?が一つ重要な人生の課題である。

三つ目の理由は、自分が苦労して歩んだ人生の経験をいち早く若い世代に伝えて、人生で曲道を少なくするための鏡を提供したいからである。もちろん、人間は各自の人生の道があるだろうが、先輩の人生経験から学ぶことも必要だろう。私と似たような境遇にある朝鮮族の若者たちが、海外で人生の道を切り開く時に少しでも参考になればいいのではないか、と思ったからである。

 世間では「出る杭は打たれる」という諺があるように、あまりにも有名になっても人に叩かれるかも知れない中国の古典には「人が有名になるのが怖い、豚は太るのが怖い」(「人怕出名、猪怕壮」)という諺がある。しかし、世の中の人に少しでも役立つのであれば、多少自分が不利益を被ってもいいだろう、と思うようになった。