プロローグ
ⅱ.なぜ私は自序伝を書くのか
人生60歳になって世の中を少しわかるようになった。
聖人の孔子曰く [五十に天命を知る、六十に耳に準じる](五十而知天命、六十而耳顺)。
私は「天命を知る」年に本当に天命を知ると感じており、「耳に準じる」年(「人の話をよく聞く」という意味)を超えるようになったのである。
ところが、私にとっては60年の人生の半分に過ぎず、今後歩むべき道はまだ長いはず。なのに、人生の途中でこのような自叙伝を書くことの意味は何なのか。
自叙伝を書くのは国内外の有名な政治家や外交官、功績が優れた将軍や元帥、著名な学者または専門家、著名な芸術家や文学者、著名な企業家や事業成功者たちであるが、私は平凡な一学者、活動家にすぎない。
なのに、自叙伝を書くようになったきっかけは、201年に中国黒竜江新聞社(朝鮮語新聞)の韓光天社長(当時)から、「李先生の人生の物語を我が社の新聞に連載したいけど、如何ですか?」と問い合わせが来たことであった。「中国朝鮮族のなかで日本に行って、ここまで頑張って成功した先生の経験談を読者に伝えたい」という要請があって、書き始めたのである。
でも私なりの自叙伝を書きたいと思った理由もある。
一つ目の理由は、我が家族の兄弟姉妹8人が一堂に集まったとき、我が家族史を世に残す価値があるのではないか、という議論があったことのは両親の結婚60周年記念イベントの時(1994年3月)。議論はしてもそれを実行するには大学で教鞭をとっている人がリーダーシップを取らざるを得ない。一つ上の兄も大学教授だが、仕事が忙しくて余裕がないらしい。
そして、私がイニシアティブをとって、8人兄弟姉妹たちに、皆さんはもう定年して時間的余裕があるから各自の回顧録を書いてみたらどうか?と頼んだら、約1年の時間で原稿を書いてくれた。肝心の大学教授の兄と私が現職で忙しいので原稿執筆ができなくて、何年も時間が経ってしまった。その間に3人の姉が他界した。
二つ目の理由は、私自身も人生の中間報告を残したかった。今までは人生の上り坂であったが、これからは60歳を超え折り返しの下り坂に向かうことになった。「上り坂よりは、下り坂がもっと難しい」(上坡容易下坡难)という中国の諺がある。もし下り坂で転がったりしたら大変なことになるかも知れない。上り坂で積み上げた経験と知恵は人生に役立つが、体力が自然に衰えることはどうしょうもないのではないか。実は人間の身体は40代から体力が下り坂になるのが自然常識だという。しかし経験と知恵をうまく活用すれば、下り坂もゆっくり下れるし、たまには上り坂にあうかも知れない。人生100歳時代に、スマートな老後人生を如何に歩むのか?が一つ重要な人生の課題である。
三つ目の理由は、自分が苦労して歩んだ人生の経験をいち早く若い世代に伝えて、人生で曲道を少なくするための鏡を提供したいからである。もちろん、人間は各自人生の道があるだろうが、先輩の人生経験から学ぶことも役立つ場合が多い。私と似たような境遇にある朝鮮族の若者たちが、海外で人生の道を切り開く時に少しでも参考になればいいのではないか、と思ったからである。
世間では「出る杭は打たれる」という諺があるように、あまりにも有名になっても人に叩かれるかも知れない中国の諺には「人怕出名、猪怕壮」(「人は有名になるのが怖い、豚は太るのが怖い」)というのがある。有名人になっても逆に困ることがあるという意味だろう。しかし、世の中の人に少しでも役立つのであれば、多少自分にリスクがあってもいいだろう、と思うようになった。
我が家族は中国の満州で近代史・現代史の中で、貧しい農村で暮らしながらも、姉妹兄弟たちは人生の道を切り開こうとなたゆまぬ努力をした結果、各自が実りのある人生を歩むことができ、現在は中国、日本、韓国3カ国を跨った生活舞台で生きている。
私自身も現代中国の怒涛の歴史の中で、波乱万丈の人生の道を歩み、本日に至っている。中国生まれの朝鮮族で、日本に来てからは東北アジア地域を檜舞台に活動しながら東北アジア共同体の構築に向けて一所懸命に頑張ってきた。
そのような自身の経験談を通じて、若者たちの人生に少しでも役立てることができることを願って、この自叙伝を書く次第である。